○ … 退任する加戸知事のメッセージで本号を飾ることができた。知事には就任以来、協会名誉会長として協会の活動に何くれとなく心を砕いていただいた。ありがたいことだ。 ○…先月20日、知事を交えての寄り合いがあり、出席者に協会事業の意義をアピールした。その翌朝、事務局には1通のファックスが届けられていた。知事から寄せられた個人加入の申込書だった。少なからず感動した。 ○…協会の運営はいつになく厳しい。それでも、全国でも稀有な海外協会が28年間、灯をともし続けている。会員ともども「愛媛の誇り」としたい。(S) (2010.11.15 海外協会報262号より)
ブラジルの保険市場がチャンスを迎えている。保険会社はワールドカップや成長加速戦略などの巨大工事を支えるための準備をしている。そして、今まで縁がなかった多数のブラジル人を取り込もうとしている―。 現地の月刊経済誌「実業のブラジル」(2010年5月号)は、こんな前書きで保険業界の活況を詳しく報じている。 活況の背景として挙げるのが、今後6年間に15兆円もの投資を見込む大型インフラの整備。巨大プロジェクトには災害、事故、遅延など、それなりのリスクが伴う。しかし、訴訟が起きれば、一枚の保険証書が企業家、銀行、政府の後ろ盾となってくれる。 政府が独占していた再保険の制度は08年に市場開放された。この影響も大きい。ぽっかり空いた領域には海外の数十社が参入し、しのぎを削る。 急成長する大型工事向けの保険を後追いしようとするのが、健康、医療、生命などの個人向け保険。しかしながら、ブラジルには文化的障壁ともいえる気風がある。国民の多くが楽観的で、ばら色の将来を期待、「保険など無用の長物」と考えがちだ。 このため、業界では少額で多様な「一品料理」を用意し、需要を喚起する。たとえば、自動車保険であれば、盗難、強盗、事故などの様々な不測の事態をカバーする高額保険よりも、適用範囲の狭い商品を競って売り出す。1日限りの救助サービスを提供する保険などがそれだ。また、医療保険ならかかった医療費だけをカバーする限定型の商品を売り出す。 スイスの大手保険会社は「人が保険を考え始めるのは失う何かがあるとき。低所得者の消費が拡大して、ブラジルでは、より多数の人が失うものを持つようになってきている」とのコメントし、ブラジル的楽観主義は変化を遂げつつあると分析する。 同国の中産階級は確実に増加しており、保険業の規模は6年後には3倍に膨らむとの見立てだ。
広大な国土を活用し農業の近代化を進めるブラジル。邦字経済誌「実業のブラジル」2010年4月号は、2008年の同国の農畜産輸出が世界第3位になったことを詳しく報じ、「今後一層の飛躍が約束されながらも国内の輸送インフラが最大の支障」と分析している。 世界貿易機関( WTO ) が発表した国・地域別農畜産物輸出統計(金額ベース) によると、2001年のランキングは(1)米国(2)EU(3)カナダ(4)中国(5)オーストラリア(6)ブラジルだったが、2008年のブラジルはカナダ、中国、オーストラリアを上回り第3位に順位を上げている。急激に増加した品目は大豆、牛肉、鶏肉など。うち大豆は7年間で42億ドルから172億ドルへと4倍になった。 伝統的な輸出品目であるコーヒー、オレンジジュース、砂糖は依然トップの地位を維持。加えて、アルコール、牛肉、鶏肉、葉タバコなども世界1となっている。記事では特に触れていないが、これらブラジル農業を牽引してきたのは日本からの農業移民や技術移転にほかならない。日本の農業技術がセラード(熱帯草原) を一大穀倉地帯に変え、大豆の生産量を飛躍的に増大させたことはよく知られている。 広い国土と太陽と水―。記事では、天然資源に恵まれるブラジル農業の大いなる可能性を強調する。01年から08年の輸出額の伸び率を比較すれば、ブラジルは18%で、EU 11・4%、米国8・4%、カナダ6・3%を凌駕する。しかも、耕作が拡大可能な面積は、環境保護規制によって制限されてきたとはいえ、日本の全耕地面積の10倍にあたる6千万ヘクタール。アジア諸国の需要の増大などを見越せば展望は明るい。問題は道路の整備や、鉄道・河川輸送のためのインフラ整備。農業のフロンティア拡大を進めるには膨大な投資を必要とする。これらが政権の急務としている。
国境の収容所跡 荒涼と 6万余の精霊さ迷う
白樺林に埋葬碑一つ 語りかける老いた遺族
滋味不覚 大らかに 大地に生きる 胸熱くさせた県人たち
9月10日から30日までの20日間、私たち4人の一行は藤原会長を始めとする在伯愛媛県人会の皆様のお世話になりながら、サンパウロを中心にサントスやサンジョアキンなど各地を訪問し、工場見学や農場体験など、得難い経験をさせていただいた。県人の方々は様々な分野で活躍されていた。それらについてすべてを語ることは残念ながらできないが、勤勉さや粘り強さ、そして何より大らかな県民性が発揮されたのだろう。また彼らはあきれるほど元気だ。「お元気ですね」なんて生半可なものではない。数百キロもの距離を車で疾走する七十代や日本とブラジルを行き来する八十代などざらなのだ。広大な大地を耕し異文化の坩堝(るつぼ)の中で生き抜く中で培われた人間本来の力なのかもしれない。彼らが扱う大地はとにかく広大で、農業の規模は私の常識をことごとく覆してくれた。様々な農場を見学する中で、ブラジルでは農業に将来性が見出せると感じた。
■温和な眼差し、熱烈な歓迎■ ブラジルにおけるりんご栽培への道は日本人が開拓したという。そして現在、主要産地の一つであるサンジョアキンでは、りんご生産の多くをみかん王国愛媛県人が手がけているそうである。だが在伯日本祭りでは、青森県人会がそのりんごを売ってしまうのだそうだ。釈然としない思いがなくもないが、それも愛媛県人がお人好しである表れなのだろ う。 行く先々で私たちは大変な歓迎を受けた。私はあんなにも温かく熱烈なもてなしを受けたことがない。親子、いや孫程も年の離れた私たちに対して、朝早くから毎夜遅くまで熱心に案内してくださり、語りあい、時にピンガを酌み交わした。ピリリと辛く強烈な酔いをもたらすこの酒は、ブラジルの大地そのものの滋味だと思う。だが、私たちに向けられる彼らの温和な眼差しは一体どのようなものだったのか。それは、長い年月異郷の地で辛酸をなめ、苦闘の果てに現在の生活を築き上げた彼らの中に流れる日本人としての誇り、故郷愛媛に対する郷愁- 。私にはそう思えてならない。彼らの眼に映る私たちの先には愛媛の今があり、愛媛に吹く風の匂いを私たちから感じ取ろうとしていたのではないか。彼らのそんな心情に思いを馳せ、私は胸を熱くするのだ。 ブラジルでの濃密な日々を反芻し、ブラジルと日本の架け橋になりたいと願う愛媛県人会の一人ひとりの思いを微力ながら受け止めたい、このレポートをしたためながら思いを新たにした。
■種を蒔いた恩人はどこに■ もしこの場において個人的な思いを吐露することが許されるならば- 私はできることならこの旅の最中、ブラジルへ興味を抱くきっかけとなった恩人に会い、一言お礼をと願っていた。その方は日本人街で書店を経営しており、何の面識もない私に6年前、はるばるブラジルから書類を郵送してくださっていた。それは日本に対する熱い想いが文面からほとばしる手作りの図書新聞で、私は一度読んだだけで引き込まれ、その作者である遠い遠い異国の日本人にいつの日か会いたいという思いを募らせていた。 だがその願いは、わずかな時間の差で叶わなかった。彼は一昨年、63歳の若さで世を去っていた事が判明したからだ。 本当に残念なことだが、私は彼に心から感謝している。彼の存在がなかったならば、私がかの国へ目を向けることも実際に行くことも生涯なかったであろう。彼がブラジルで蒔いた種子は故郷日本で、私のブラジルへの関心となってみごとに発芽した。私は今後ともその若芽を育て、ブラジルの木の如く大樹にしてゆきたい。 最後になりますが、私たち4人に研修の機会を与えてくださった、海外協会の会員の皆様、特に出発から帰国まで準備に奔走された協会事務局の方々に心よりお礼申し上げます。
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