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このページのニュースは、海外協会の会員向け会報に掲載されたものから一部を抜粋して掲載しています。
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2009年10月5日発行 海外報 第256号から |
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■ 「目覚めの旅 3週間」訪伯研修生4人元気に帰る |
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山口福友さんのリンゴ園で |
県海外協会の第6回ブラジル派遣研修生が在伯県人会の温かい受け入れのもと3週間の視察・交流体験を
重ねて9月30日、元気に帰国した。
メンバーは、団長役の鈴木由美さん(35)=喜多郡内子町、主婦=をはじめ、藤田香織さん(31)=東温市、
会社員=、寺尾進太郎さん(23)=四国中央市、農業後継者グループ代表=、森田紘人さん=大洲市出身、
愛媛大学4回生=の4人。
松山空港には井上協会長ほか協会・家族関係者が出迎え。団員たちは皆ひとまわりたくましくなった雰囲気で、
刺激的だった旅の思い出を語っていた。
以下、団員のひとこと集。
鈴木さん「ブラジルとは今後ともつながりを持ち続けたい。心からそう思った。一世の方々が皆一様に
若々しいのが印象的でした」
藤田さん「多人種が自らの歴史を大切にしながら共存しあうブラジル。建物も風景も人柄も融合感にあ
ふれて、とても素敵な国でした」
寺尾さん「僕がブラジルで一番感じたことは気持ちの強さでした。今の自分たちに足りないものを見るこ
とができた目覚めの旅でした」
森田さん「日本から一番遠い国ブラジル。その文化、移民の歴史、環境を自分の肌で感じられた。とても
有意義な研修でした」
(時機をみて報告会を行います) |
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■ 来年8月にロスで式典 南加県人会100周年 |
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加戸知事を訪ねた松岡会長夫妻。右は井上海外協会会長 |
南カリフォルニア(南加)県人会の松岡八十次会長が9月初めに帰県。加戸守行知事や帽子敏信県議会
議長らを表敬訪問し、来夏にロサンゼルスで開く「県人会創立100周年記念式典」への出席を懇請した。
松岡会長の滞在は4日ほどだったが、県市長会長の佐々木龍新居浜市長や、松山市の稲葉輝二副市長、
菊池伸英市議会議長、同郷の菅良二今治市長らを次々と訪問し、精力的に記念行事をアピールした。
県人会の記念行事は8月1日に予定しており、海外協会では式典に合わせて官民挙げた慶祝訪問団を送り
込み、移住県人の長年の労苦をねぎらうことにしている。 |
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■ 「大和魂」の松本茂さん逝く |
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スピーチをする松本茂さん(7月1日、松山市) |
「悲しいことですが、訃報のお知らせです」。そんな書き出しのメールが8月下旬、協会事務局に届いた。
南カリフォルニア県人会の松岡会長からの発信だった。わずか1カ月前、「ふるさとツアー」で本県めぐりを
した弁護士の松本茂さん=79歳=が亡くなったという。
松本さんは、父が宇和島市出身。松山中学に在学中に渡米移住した。人工透析患者で、今回のツアーは家族の
介添えを得ながらの参加だった。
歓迎会でのスピーチが印象に残っている。「移住者はみんな頑張ってきた。私自身、大和魂とは何か、と
このごろ思うようになった。それは、どんな状況でもベストを尽くすことではないのか」。移住者の真情を代
弁する言葉が会場の感動を誘った。
今回、松本さんは「もう一度、愛媛を訪れたい。旅の途中で倒れてもいい」と透析を受けながらツアーに
加わった。ロスに戻ってからは「人生であんなに褒められたのは初めて」と上機嫌で歓迎会の思い出を
語っていた。しかし、体調が急変、帰らぬ人となった。謹んでご冥福をお祈りします。 (事務局) |
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■ パラグアイ集団移住50年祭 和やか200人 県人の輪 |
▼小松さん(旧土居町出身)が手記 知事の表彰…会話も弾む
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パラグアイ県人集団移住 昭和34年7月、旧柳谷村の7家族47 人が移 住したのが始まり。県人らが多く移住し、愛媛村も設立した。現在の県人会 には80 戸が集う。 |
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南米パラグアイは暦の上では冬だが、春を思わせる日差しが照りつけている。地平線まで広がる小麦畑。
豊かに実った穂が風になびいている。黄色い花をつけた菜種畑が延々と続く。ここも半世紀前までは鬱蒼
とした原始林だった。
でも、いまではパラグアイ有数の穀倉地帯だ。
8月23日。ラパス富士地区。きょう、愛媛県集団移住50周年の記念祭が開かれた。会場には横断幕が掲げ
られ、県人が次々と集まってきた。他県出身者に嫁いだ婦人も参加し総勢200人。久々の再会に喜びの声が
あちこちではじけた。
紅白の布で飾られた中央テーブルには、おすし、刺身などのご馳走が並べられている。いずれも地元のご
婦人方が精魂込めて作ってくださったそうだ。
午前10時、お坊さんの読経で慰霊祭が始まる。窪前勇県人会長(西予市野村町出身)が、今日の礎を築き
上げた先駆者の霊を弔い弔辞を述べる。先没者の遺族を代表して石田稔氏(旧久万町出身)が謝辞を述べる。
続いて、しめやかな雰囲気のなか焼香が続く。
式典では、来賓のあいさつの後、加戸知事や、県海外協の井上善一会長からの祝賀メッセージが披露され
た。母県より送られてきた知事の賞状と記念品が高齢者21人に贈呈された。皆さん、感無量の面持ちだ。旧
柳谷村(現久万高原町)からの第1号移住者で、最高齢の安藤マサヲさん(94歳)もかくしゃくとして賞
状を受け取る。
席上、パラグアイの「芭」と愛媛の「愛」を結びつけた知事直筆の「芭愛」の色紙が披露された。式典の後
はご馳走をいただきながらの懇親会。何年も会ってない人もいて、会話はいつまでも弾んだ。
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※小松八千代さんは旧土居町関川(現四国中央市)の出身。旧姓は真鍋。昭和35年、関川小学校6年生のときに入植。50年祭の感動は愛媛新聞にも投稿した。「これから年に一
度開かれる県民の集いを楽しみにしている」という。
2009年09月09日(水)付愛媛新聞から
[へんろ道]集団移住から半世紀 小松八千代
広々とした農地が広がる南米パラグアイのラパス富士地区。パラグアイ有数の穀倉地帯だ。1959年、ここに上浮穴郡柳谷村や久万町などから愛媛県人が集団で入植した。富士地区には通称で愛媛村と呼ばれていた所もあって、本当に愛媛県人だけで村を構成していたようである。
8月23日、愛媛県人集団移住50周年祭があり、パラグアイ全国から愛媛県人が集まった。総勢200人。久々の再会を祝う人でにぎわった。異国では、同県人というだけで親しみがわく。
原始林を切り開き、幾多の苦難を乗り越えて、礎を築いた先駆者の霊を弔った。式典では加戸知事からの賞状と記念品が高齢者に贈呈された。その後、持ち寄ったごちそうに舌鼓を打ちながら、県人同士の輪が広がった。
半世紀を経た今、大農場を経営する人、都心で商業を営む人、弁護士や医者になった2世、3世。人それぞれだが、同県民というえにしで集う喜びをしみじみとかみしめた。
私は60年に宇摩郡土居町関川からアルトパラナに入植した。今は舗装道路が抜けてラパスから車で40分ほどの距離だが、当時は道もなく、ずいぶん遠回りをしなければラパスに行けなかった。現在はアスンシオンに在住しているが、母と2人、来年から年に1度開かれる県民の集いを楽しみにしている。(パラグアイ・小松八千代・60歳) |
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