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愛媛県の方々に温かく迎えて頂きまして感謝を申しあげます。
会場の皆さんの中にはブラジルに行かれた方も多いでしょう。ブラジルと日本はちょうど地球の反対側。とても長い旅となります。(移民の始まった)1908年のころはいかに長い旅だったことか、とつい思いを馳せてしまうのです。しかしながら、距離的な遠さは逆に私たちを近づけるものでもあると感じています。
まず、ブラジルの歴史を簡単に説明します。1808年ですから、ちょうど200年前。ポルトガルの王室がナポレオンの進攻でブラジルに避難をしました。このときリオデジャネイロがポルトガル帝国の首都になりました。1822年に独立宣言がなされます。そして、ちょうど100年前の1908年に笠戸丸がサントス港に到着しました。
■国境紛争のない国■
ブラジルの国土面積は世界5位。南米のほぼすべての国と国境を接しています。そして、隣国との国境紛争は全くありません。これはブラジル外交の父、リオ・ブランコ男爵のつくりだした成果であります。南米のなかでポルトガル語系はブラジル一つにまとまり、スペイン語系の国々はいくつにも分かれました。一つの国土で一つの言語という国はアメリカのように数多くの移住者を集めることになりました。
ブラジルが発見された1500年当時、インディオは100万人いました。その後、虐殺や悲劇的事件があり現在は300万人。保護を担当する政府機関はインディオと文明人を接触させない政策を取っています。それでもアマゾンの農業開発による衝突などが起きています。
アフリカ系も多く住み、黒人系の文化はブラジルに多大な影響を及ぼしています。こちらの移民は暴力的な形で、350万人が奴隷として連れてこられたわけです。それ以外の移民はアラブ系12万人、日系24万人、ドイツ系33万人、スペイン系70万人、イタリア系160万人、ポルトガル系170万人、その他ロシア、ポーランド系などが20万人となっています。これら移民の背景には戦争があったり、経済的な問題があったりして、祖国を後にしてブラジルに新天地を求めなければならなかったという事情があります。
ブラジルを別の角度から特徴づければ、ポルトガル語を話す国家としては最大の国。ナイジェリアに次ぐアフリカ人国家でもあり、9千万人の黒人と黒人の混血子孫が住んでいます。また、世界で2番目に大きいイタリア人国家で、約2千万人のイタリア系がいます。それに、世界で2番目に大きい日本人国家で、200万人近い日系人がいます。レバノン系の最大の国家で500万人のレバノン人もいます。それぞれが過去や歴史を携えブラジルにやってきたわけです。団結の度合いはさまざまで団結が際立つのは日系人社会です。
■「好環境の始まり」■
次は、ブラジル経済に関するデータです。マクロ経済の安定性という点で、多くのエコノミストが現在のブラジルを「好循環の始まり」と判断しております。まずインフレが抑制されていることはブラジルにとって、とてつもなく素晴らしいことであります。80年代には、ひと月あたりのインフレ率が80%という異常な時期もありました。再生したのが1994年。改革を担ったカルドゾ大統領が就任してからでした。好循環のきっかけはこの時に形成されました。
外貨準備高は1950億jで、これまで600億jだったことを思うと空前の額です。海外からの投資は07年で346億j。これは途上国としては中国に次ぐものです。
加えて、政権が取り組む「社会的な包摂」についてお話しなければなりません。これは02年に就任し、現在2期目を務めているルラ大統領が始めた政策です。ブラジルにおいては社会的な格差は大きな問題です。好景気を利用して格差を是正する政策をとっています。インフラ整備などの大きな課題を残しているものの、この方針は好結果をもたらしています。GDPで5.3%の成長は、中国などと比べると控えめな数字ですが、中国とは違って司法制度は公正に行われ、かつ政治も民主的に行われています。
ブラジルは20世紀の初めにすべての国境紛争を解決しており、従って、戦争の記憶というものがない国であります。憲法にはテロと人種差別の根絶や人類進歩のための民族間協力もうたわれています。
このもとで、核不拡散のために日本政府と協力し、国連では日本と同時に常任理事国に入ることで共同歩調を取っています。ブラジルは政治的にも経済的にも世界の国々とバランスの取れた関係を持続しているのです。
■不毛の大地を大豆畑に■
さて、ここからは、皆さんの関心のあるブラジルと日本の関係についてご紹介したいと思います。まず第1波は1908年から1942年まで。この間に多くの人がブラジルに向かいました。第2波が戦争の惨禍の後、1952年から79年です。この期間にはさらに多くの移住者がブラジルに向かいました。それと同じく重要なのは、日本企業の大規模な投資が行われたことです。日本の投資はブラジル経済に多大な影響をもたらしました。その一つ、ウジミナスは新日鉄とブラジル政府の合弁で出来た製鉄会社ですが、いまや大製鉄所に成長しています。 もう一つ、ブラジルが日本に多大に負っているのが農業分野での貢献です。JICA、当時は国際協力事業団といいましたけれど、ここを通じて農業技術の支援が行われました。セハードという不毛の地を大豆の産地に変える技術協力をしました。このお陰でブラジルは世界第2位の大豆生産国になっております。
そして、現在のブラジルと日本です。岐路―と言ってもポジティブな非常に良い兆候が見られる岐路に立っているということです。80年代のブラジルはインフレに苦しみ、90代の日本はバブルの崩壊で混乱しました。これら20年間の両国は冷めた関係でした。一方、この期間にブラジルから日本への移住というものが発生しております。90年に日本の入管法が改正され、日系人の三世までが日本に滞在しやすくなったことで多くの人が日本を目指しました。現在は32万人のブラジル日系人が日本で生活しています。在日外国人のなかで3番目に大きな存在になっております。これによって新たな絆が生まれるとともに新たな課題も誕生しています。
通商関係に戻って言いますと、日本とブラジルの貿易は潜在的な可能性に比べて低いレベルにあるというのが現状です。95年当時、ブラジルと日本の貿易額はブラジルと中国の2倍でした。しかし、07年現在、中国とブラジルの貿易額は日本とブラジルの5倍になっております。一方、良い兆候も現れております。ブラジルは日本のデジタルテレビを採用した初めての国です。研究機関や政治のレベルでも高度な協力関係があります。「失われた20年」を乗り越え双方向の投資が始まる兆候も現れております。トヨタをはじめとしブラジルへの投資は多く展開されており、すでに三井物産は25億jを投資しております。
注目してほしいのは、ブラジル側が日本に投資する事例が新たに生まれているという点です。その筆頭が、沖縄にある石油精製会社をブラジルの会社が買収した案件です。もう一つは、ブラジルが高付加価値の製品を日本に販売した事例です。エンブラエル社は100人乗りの小型ジェット機を多くの国に販売しており、日本市場にも参入し始めました。そして今年の100周年です。節目となる好機の年を迎えております。両国において数えきれないイベントが開催され、これらは両国の相互理解を深めるきっかけになると確信いたしております。
■バイオ燃料の未来■
最後に、ブラジルのバイオ燃料について補足的にお話します。ブラジルで自動車燃料に使うエタノールは30年間にわたる研究改良と政策展開の成果です。ブラジルは世界5位の自動車生産国ですが、新車の8割がフレックス燃料に対応したものです。これはエタノールとガソリンを選択できる自動車です。エタノールは二酸化炭素の排出の面でも優秀な油です。バイオ燃料は食料価格高騰の元凶だと言われました。しかしブラジルの場合、サトウキビを原料としており、食料価格にほとんど影響を及ぼしません。トウモロコシを原料としたアメリカのエタノールは政府の多額の補助金によって生産されています。これが高騰の引き金です。いま、日本のほとんどの商社がブラジルのエタノールに投資しており、エタノールの将来は明るいと思えます。エタノールが日本とブラジルの経済連係の大きな柱になっていくと思います。ご静聴ありがとうございました。 |
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《ジョアォン・バチスタ・ラナーリ・ボ公使略歴》1955年サンパウロ生まれ。外務省リオブランコ外交官養成学院卒。テル・アヴィヴ、北京の両大使館で勤務。外務省のアドバイザー、UNESCOブラジル代表などを経て06年から現職。外交職務のかたわらブラジリア大学メディア学部教授として教壇に立つ。日本の芸術、文化、特に映画に引かれている。 |
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